ゼロから始める鉄道のいろは~その1 鉄道歴史入門前編~

2019年1月15日

日本ではじめての鉄道は1872年に新橋~横浜間で開業し、先人たちの努力により発展し続け、やがて今の鉄道網となりました。戦後に国鉄が発足して以降は、広く通勤通学から観光と全国民の足として日々利用されてきました。

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さて、読者の皆さんの住んでいる街に鉄道は走っているでしょうか。地元の街に鉄道が通っている方にとっては、やはり生活に欠かせない存在だと思います。そんな皆さんは普段使っている鉄道路線について知っていますか?日頃から当たり前に利用している鉄道路線だからこそ、普通に生活していては知ることのない一面がたくさんあったりするのが鉄道であり、それらを深く知ることでより日常においての利便性が向上します。この連載では、本当に本当に初歩的な内容から鉄道について噛み砕いていくので、どうぞよろしくお願いいたします。

鉄道は誰が運営しているのか

まず最初に鉄道事業者の定義を確認しましょう。日本における鉄道事業を規定する法律は「鉄道事業法」で、この法律により定められた鉄道事業者が日本で鉄道事業を展開しています。

では、私達が日々利用している鉄道は誰が運営しているのでしょうか。たとえば小田急線を運営しているのは小田急電鉄株式会社ですが、東海道本線を運営している企業は東日本・東海・西日本旅客鉄道株式会社(通称JR)と3社に渡ります。また、東京都営交通大江戸線など自治体が運営している鉄道路線も存在します。なお、詳しくは後述しますが国が運営するいわゆる「国有鉄道・国営鉄道」は国鉄分割民営化を期に日本から姿を消しました。

このように、鉄道を運営している団体は、「私企業」「JR」「自治体」の3つにカテゴライズすることができます。それではこれら一つ一つを詳しくみていきましょう。ここでは、私企業の運営する鉄道を「私鉄」、JRの運営する鉄道を「旅客鉄道会社線」もしくは「JR線」、自治体の運営する鉄道を「公共鉄道」とします。

私鉄

日本における最初の私鉄は「日本鉄道」でした。1881年(明治14年)に設立され、のちの東北本線となる路線など数多くの主要路線を建設・運営していきました。国家主導のプロジェクトである東海道本線新橋横浜間の開業から9年後の出来事です。この時点で政府が主体となって鉄道を建設していく計画はあったのですが、西南戦争による財政難から鉄道敷設への予算を割くことができなかったため、やむを得ず民間企業の敷設に頼らざるを得ないという背景がありました。

日本鉄道の父・井上勝

この日本鉄道が好調な決算を叩き出すと、それを追うように日本各地で私鉄設立ブームが誕生しました。そうして次々と私設鉄道が日本に誕生していったのです。しかしこのときの鉄道省長官井上勝は熱心な「官設官営」論者であり、私企業が次々と鉄道を敷設していく現状が許せませんでした。しかし、当時の議会の議員はほとんどが私設鉄道の株主である華族や資本家で形成されていたため井上の主張は通らず、1906年に鉄道国有法が成立するまで私鉄の敷設は続くこととなります。ちなみに「民設民営」論者には渋沢栄一などがおり、彼らは資本主義における企業間での競争が鉄道の発展に寄与すると主張していました。この間に多くの日本の主要路線となる鉄道が建設されたことを考えると、結果論ではありますが民間主導の鉄道建設が功を奏したと言えるでしょう。

しかしやがてこのブームも収束を迎えます。前述した鉄道国有法が成立し、多くの私鉄が買収されることとなったのです。先程例に挙げた「日本鉄道」、のちの中央線となる「甲武鉄道」、山陽線となる「山陽鉄道」などが国に買収され国有化されました。ついに井上の念願がかなったのですが、このときすでに井上は鉄道省を離れていました。この鉄道国有法により国有化された路線が、のちの国鉄、そしてJRとなっていくのです…

ちなみに、現在日本で3番目の路線規模を誇る東武鉄道もこの法律が施行され買収対象になりましたが、紆余曲折あって買収からは逃れ現在に至ります。しかし実はこの東武鉄道のケースは例外で、実は鉄道国有法が成立する前に私設鉄道法という法律が1900年に公布・施行されました。この法律はかなり厳しく私鉄の敷設の条件を規制するもので、これにより一旦私鉄敷設ブームは収束を迎えています。しかし、この法律は文字通り「鉄道」に対する法律で、「軌道」の敷設を規定するものではなかったのです。

設立当初からその名を残す東武鉄道

新しい単語が出てきました。「軌道」です。ここでの軌道の定義は「道路上に鉄道があること」で、鉄道の定義は「軌道以外の鉄道」としましょう。少しややこしいですが、当時の法律でそう規定されていました。つまり、道路上に鉄道があれば軌道で、それ以外は鉄道なのです。

あとはだいたい察しがつくと思いますが、実際には鉄道であるにも関わらず「軌道」として届出をすることで、私設鉄道法の適用を免れ建設していくケースが頻発したのです。1905年に阪神電気鉄道(のちの阪神電鉄)がこの抜け道を最初に使っています。

そこで登場したのが「軽便鉄道法」です。この法律は「私鉄」とは別に「軽便鉄道」という新たな鉄道を規定し、かなり規制を緩和し更に政府が金銭的援助を約束するという、政府からしてみれば出血大サービス的な法律でした。しかしこれは新規参入の加速化どころか既存の私鉄が軽便鉄道に鞍替えするといった事態に陥り、 前述した軌道による私設鉄道法忌避も相まって遂には1918年に当法準拠路線が0になってしまいました。

そうした背景を受け、規制を比較的緩和した法律「地方鉄道法」が1919年に公布されました。1919年以降に敷設された鉄道も数多く(小田急電鉄など)、この法律が大正時代の私鉄を統括し、戦後国鉄が解体されるまで日本の「私鉄」を規定し続けました。

これが日本における私鉄の歴史です。現存している殆どの私鉄は、「最初期の私鉄敷設ブームによって誕生した鉄道」「軌道として敷設され、のちの規制緩和で私鉄となった鉄道」「軽便鉄道として誕生し、のちに私鉄となった鉄道」の3つに分類されるということですね。

ディズニーのウエスタンリバー鉄道もこの地方鉄道法適用対象となりかけたことがある

図にまとめてみました。ここで一つの疑問が生じます。なぜこれまで民営論が優勢であった議会において1906年に鉄道国有法が通過できたのでしょうか。そう、この出来事こそが、日本における国有鉄道の歴史の始まりとなるのです。次回の記事では、国有化の出発から国鉄の衰退、そしてJR誕生までの歴史をまとめていきたいと思います。

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Posted by esmal