引退必至の稀勢の里─「日本人横綱」を待望した相撲ファンの罪

平成最後の国技館での場所となった、大相撲2019年1月場所。初日から三大関が敗れるなど波乱の幕開けとなったが、特筆すべきは稀勢の里であろう。2017年5月場所から6場所連続で休場、2018年11月場所で初日から4連敗し休場など横綱としては不甲斐なさ過ぎる成績を残し、それらを踏まえ今場所前には「激励」の決議を横審から受けての場所となったが、結果は残酷にも2連敗スタート。ついに後がなくなった。

しかし、そんな稀勢の里の現状を生み出したのは、「日本人横綱」に拘り彼に必要以上のプレッシャーをかけ続けたマスメディアとそれに煽動された相撲ファン自身であることを、私達は自覚する必要があると私は確信している。

昇進条件は妥当だったのか

2017年1月場所14日目、既に勝利し13勝1敗としていた稀勢の里が土俵下で見つめる中、2敗で追走していた白鵬が貴ノ岩に敗れこの瞬間稀勢の里の初優勝が決定した。その翌日、千秋楽に組まれた白鵬-稀勢の里の一番は皆さんも記憶に新しいだろう。白鵬が渾身の寄りを見せるも、稀勢の里が土俵際でいなし因縁のライバルに土をつけ、この瞬間横綱昇進が決定的となった。

しかし、私はこの時点での横綱昇進に否定的だった。なぜなら昇進の最低条件とされる 「大関で2場所連続優勝に準ずる成績」 を満たしていなかったからである。この「準ずる成績」とはあくまで「優勝次点」ではなく「優勝同点」が平成における原則なのだ。しかしこの解釈はあくまで私の主観に基づくが、解釈については昭和まで遡らない限り客観的事実として認められるし、なにより北尾(双羽黒)の廃業以降は横綱昇進条件が厳格化されたのは周知の事実である。旭富士から日馬富士までの8横綱は全員2場所連続優勝で、鶴竜は14-1(優勝した白鵬と同点)→14-1で優勝で昇進している。

ここで旭富士以降持続してきた昇進レベルをぐっと引き下げてしまったのが稀勢の里なのだ。確かに年間最多勝を獲得する安定感と13勝次点を5回も叩き出している実績が評価されたのは十分に理解できるのだが、優勝経験が皆無なのだ。過去に年間最多勝を引き合いに綱取りに挑んだ力士は玉の海と旭富士がいるが、そのふたりはいずれも綱取り前に優勝経験がある。

長く続いた日本人横綱不在時代

この頃の日本は「日本人横綱」を待望していた。2003に貴乃花が引退し、それ以降日本人横綱は不在だった。それどころか2006年初場所の栃東の優勝を最後に日本出身力士の優勝も途絶えており、ちょうど10年後に琴奨菊が優勝しファンの欲求をある程度満たすものの、いまだに日本人横綱は誕生するに至っていなかった。

そんななかで我々日本人の欲求は増大していった。琴奨菊、豪栄道の2大関が相次いで優勝を果たすも綱を逃しているなか、ずっと稀勢の里は優勝次点付近をうろうろしていた。お世辞にも大関成績が安定しているとは言えない2人とは違い、稀勢の里の成績は著しく安定していた。しかも休場もせず、身体の頑丈さも目立っていた。そう、大関の中で綱を張れる人材は稀勢の里しかいなかったのである。

2つの「万歳三唱」

さて、稀勢の里が昇進を決めた場所の千秋楽に対戦したのは白鵬だ。両者は因縁のライバルとよく語られるが、正確には「全盛期の白鵬に勝てる力士は稀勢の里しかいなかった」と表現したほうが正しいのかもしれない。

そんな因縁の取組のなかのひとつ、2010年九州場所、稀勢の里が白鵬の連勝を63で止めた一番。このとき福岡国際センターで「万歳三唱」が沸き起こった。今思うと、このころから既にモンゴル人に対する鬱憤は溜まっていたのかもしれない。のちの2013年の九州場所で稀勢の里が白鵬を破った際にも場内で万歳三唱が沸き起こり、これらの出来事はインターネット上で賛否両論を呼んだ。

確かに私も「差別だ」というのはいいすぎだと思うが、この万歳三唱には明らかに日本人力士を応援する観客の本音というものが垣間見えると思っている。実際に一取組の勝敗に万歳は行き過ぎた喜び方だと思うし、九州場所は座布団が縛り付けられている事実を受け止めるべきだ。

国民感情と横審

思えば、白鵬の態度が変わり始めたのもこの頃からだ。審判部に注文をつけ人種差別を仄めかす騒ぎなども起き、角界における対モンゴル感情は大きく揺れた。白鵬の立ち振舞は品格がないと一挙一動マスメディアによって批判され、ネット上ではモンゴル人力士批判の声が多数となり、白鵬本人のTwitterへのリプライにでさえヘイトスピーチとも捉えられかねない暴言が送られるなど差別的な声が大きくなっていったのは紛れもない事実なのである。

稀勢の里はそんな荒んだ角界の救世主だったのだ。日本人のなかで爆発しかけた日本人横綱待望論を一人で背負い、何度も綱取りに挑戦しては何度も失敗した。本人のメンタルの弱さ以上にマスコミの煽動と過剰なファンの期待が彼にプレッシャーを与えていたのかもしれない。

その一つの元凶が横審だ。そんな国民感情を背にけっきょく横綱昇進条件を大甘の12勝次点にまで引き下げ、たった1回の優勝での昇進を許してしまった。 「白鵬のかち上げは品格がない」などといった言いがかりをつけ戦術を封じ怪我をさせた割には、稀勢の里に6場所連続を許しなお引退勧告をしないなどといったどう考えても日本人特例を次々と編み出していった。だいたい稀勢の里だって立ち合いで張っているが、誰一人としてその事実については突っ込まないのである。

大怪我

力士生命を極端に縮める怪我となってしまった2017年3月場所の日馬富士との一番。その後強行出場し優勝を勝ち取るが、長い目で見たらこの決断は暴挙だった。完全な憶測になるが、本人の中にも連続優勝を果たしていないという負い目があったのかもしれない。いまとなっては結果論だが、もし横審が初優勝の場所に昇進ストップをかけていたら、休場の決断を下し今なお元気に土俵に上がり続けて、優勝経験を引っ提げあっさり2場所連続優勝を達成して横綱昇進していたかもしれない。

もしもを言ったらきりがないが、稀勢の里が度が過ぎたな国民の日本人に対する期待を背負い、それに忖度した横審の甘い判断によって大怪我を背負いその後の力士生活が思わしくなくなってしまったのは確かである。

貴乃花騒動から考える

余談ではあるが、稀勢の里が休場している間に発生した日馬富士による貴ノ岩への暴行問題。ここで日本人の対モンゴル感情は爆発した。モンゴル人の国民性による陰湿な事件であるとマスコミは総叩き、傍観していた白鵬にも非があるとはいえ行き過ぎたバッシングが行われた。(鶴竜はあまり批判されなかったことを踏まえるに、彼は本当のヒールである。) マスコミはカルト宗教に洗脳された貴乃花を腐った協会にメスを入れるヒーローのように祀り上げ、被害者の貴ノ岩を全面的に擁護するものの、貴ノ花は協会を退職し貴ノ岩は被害者であったにも関わらず付け人に暴行を働き廃業した。

この事件で協会の排他的環境が批判されたが、何より批判されるべきは相撲ファンの国籍に対する排他性だ。平成に入り外国人力士が土俵に多く立つようになり相撲の歴史は大きな転換点を迎えた。そしてその平成も終わろうとしている。相撲は神事である以上にスポーツだ。世界が国籍差別を撤廃していく流れなかで、日本だけが「神事だから」というだけで排他的な感情を捨てない理由にはならない。

今上陛下の退位にともない新年号がいよいよ発表される。これからの相撲の歴史はどう進んでいくのだろうか。

スポーツ,大相撲

Posted by esmal